2014年2月3日月曜日

やまだせいがさんの高江レポート④

ワンラブ特派員として高江に行ったやまだせいがさんの現地レポート、いよいよ最終回!

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【高江レポート④ 2月1日】

またまた遅くなってしまいすみません。昨日は高江と、ちょっとだけ辺野古にもつれてっいってもらえたので、報告します~。

6時にメインゲートに向かう頃にもまだ星が出ていました。高江の星空は、空がプラネタリウムのように丸くなって、星が自分近づいてくるんですよ!この日は特に暖かくて、日差しも強くて日焼けしました。ミーティングのときに「今日帰ります、ありがとうございました」と言うと、「こちらこそ、ありがとう」とかえしていただきました。

7時頃から今日はN-4の方へいきました。N-4は今現在二つ目のヘリパッドの工事を行っています。土曜日でしたが、8時頃から工事を始めました。私たちの見える方に作業員の方が来たので「おはようございます」とあいさつすると、「おはようございます。そちらは何人いるんですか?」と聞かれました。一緒にいた方が「そちらは何人ですか?」と切り返すと、「5人」と言っていました。本当かどうかはわかりません。トラックのあとに、なぜか散水車が現場に来ました。なぜだろう?と思っていたら、ちょうど私たちの視界の前に置かれてしまいました。う~ん。トラックは砂?(のようなもの)を積んだものがどんどん運び込まれていました。そしてときどき赤土を運び出しているようでした。N-4の工事は、遅れていると言われています。6年間でひとつも完成していないのですから、そりゃそうなんですけど。新しくヘリパッドを作らなくてももうオスプレイは高江の真上を飛んでいます。このN-4は民家から400メートルしか離れていない場所のものです。N-4が使われるようになれば、危険がさらにましてしまいます。しかし工事は基地のなか…、止められません。工事の進行具合を推測するしかありません。

12時にはN-4を離れて、高江のみなさんに愛されている共同売店でソーキそばを食べました。13時にはお世話になったトゥータン屋も離れました。みなさん、改めましてありがとうございます。高江から離れるのを寂しく感じました。

伊佐さんに宜野湾市までは送ってもらいました。伊佐さん、ありがとうございます。実はちょっと緊張していて(笑)何を話したのかあまり覚えていない…。あああ、すみません。「戦争するなんてもうふるい考えだよね、非暴力での問題解決の世界になるべき」という話をわりとあつく交わしたような。


ここで少し私の話なのですが。私、ちゃんと憲法の上で生きることができていたら、こんなひどい世の中になってないと思います。憲法があるのに、それがちゃんと使用されていると勝手に思っているだけで、全然そうじゃない。高江にあんなに危険な米軍基地があることだって、憲法の力をきちんと使っていればなくせるものだと思うのです。本当に、憲法のうえで暮らしていると、とても今の世の中では言えませんよね。私はちゃんと憲法の上で暮らしたいです!みんなと!

伊佐さんにこの先のヘリパッド工事について聞いてみると、いろいろと教えていただけました。東村高江の、東村村長は完全にヘリパッド推進派。北部訓練場は東村だけでなく、隣の国頭村にもかかっています。沖縄防衛局が、N-4の工事が終わらなくても、1月なかばからN-1の工事にとりかかることを明確にした際に、高江の住民の会が国頭村の村長に申し入れを行いました。N-1も、G、Hと呼ばれるヘリパッドも、国頭村の土地にも当たるので、ヘリパッド工事を受け入れないように申し入れに行ったのです。「そのときはある程度前向きな返事を返してもらった」ということです。「しかし基地がない隣の大宜味村の村長は反基地の意思を持つ人で、大宜味村はとても豊かなわけではないが、ちゃんと成り立っている。軍事産業は、潤いなんか与えない。目先の瞬間的な利益だけで、あとは衰退してしまう。だから沖縄は日本一貧しくて、就職だって難しい。北部訓練場なんて、あんなに大きな土地に日本人従業員は10人くらいしかいないんだ。土地を返還させて、森を守りながら何か地元産業、観光産業をすれば、そんなことはなくなるだろね」米軍基地は日本を守っていないどころか、人々の生活手段までたくさん奪っているのです。沖縄の何かの問題と米軍基地はほとんどつながっていしまっているのです。そういえば、嘉手納基地の中にあるマンションは、空室が多く、ほとんど基地の外にあるマンションを借りているらしいのです。しかも高額マンションまで住めるくらい、日本がおもいやり予算から出しています。ひどすぎる現状の数々、頭にはいっても憤りが大きく体がどんどん重たくなっていきます。そんななかでも人は生きていくしかない。そこにつけこまれて、現状を放っておいては苦しさは増す一方になってしまいます。

私が「辺野古に行ったことない」のを知って、伊佐さんは辺野古にも寄ってくれました。松葉さんにしろ山城さんにしろ、高江のみなさんは本当に親切です。きっと常々、みんなでともに暮らしているからなのでしょうね。

辺野古のテントでの座り込みは、この日で3675日。辺野古で案内している方が、「名護市長選は稲嶺さんが勝つことができた。しかし辺野古への基地移設の準備はずっと前から進んでいる。キャンプシュワブでは新しい宿舎が建っているし、ずっと北の方から行っている海岸線の工事も基地のため」辺野古もまったく油断ならない状態です。辺野古の海は深いので、自然へのダメージもとてもとても大きい。弾薬庫も近く、戦闘機の潮気を洗い流す洗浄機も作ることになっていて、いつでも戦地へ飛び立てるスタンバイができる基地になってしまいます。この青い海に、そんなも全然いりません!>゜)))彡

「高江に来てみないとわからないことがたくさんありました」と言うと、伊佐さんはこう言いました。「最近は平穏だ。高江のみんなはいい人ばかりで、一見座り込みが穏やかに楽しそうに見えるかもしれないけれど、何かあればすぐに厳しい事態になる。本当はそれを知ってほしいんだ。どちらも高江なんだ」この言葉通り、高江の魅力とその真反対である基地の存在を、きちんと捉えて考えて行動していかなければならないのです。正直なところ、私は高江にいるあいだにそういった事態になったとき、すぐに高江を守るために動けたかどうか、わかりません。怖くてどうしようもなくなってしまったかもしれない。高江は今すぐにでも、そういう状態になってしまうかもしれないことを、きちんと理解しておかなくてはいけないのです。それを踏まえたうえで高江を支援していきましょう!「みんな高江に集まれ~♪」

高江の四日間、私の役目はとりあえず事実を「知らない人たち」に伝えること、そして一緒に考えて行動していくことだ。このレポートがちょっとでも「知らなかった誰か」に読んでもらえたなら、スタートになっているってことだ☆

引き続き、シェアを歓迎しております!私を高江に送ってくださったONE LOVE 高江さん、本当にありがとうございました。








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